てぃーだブログ › 沖縄の言力。(コトヂカラ)

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2009年01月01日

第9回 豚のコピー

新年明けましておめでとうございます。
本年の皆様方のご健康とご多幸を心から願っています。
多忙にかこつけ、更新が途絶えがちな不出来なこのページに
お越しいただき篤く御礼申し上げます。
昨年12月に入ってからのアクセス増大をみれば、
ひとり山原は名護の轟きの滝にうたれ、改心せねばと思った次第です。

本土の正月が“餅正月”とすれば、
沖縄は、“豚肉正月”であるところから、
本年始めの沖縄の言力(コトヂカラ)のテーマは、<豚>であります。
が、その前にちょっと雑談を。


作家の林真理子さんがコピーライターだったころ、
手の空かない私がデイレクションに回り
原稿をお願いしたことがあります。

シチズン時計のパーティーブックでしたが、
その数ヵ月後,
彼女の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が
ベストセラーになって広告界の住人でなくなつてしまったので
記念の仕事となりました。

どのページをめくっても
彼女の初々しい感性がプチプチと爆ぜていて才能は瞭らかです。
参考までに二、三紹介します。

『現代のシンデレラたちは、12時が来るのを楽しんでいる。

門限にしぱられない娘ほど時計に凝る。
これホントに不思議。
針と針が重なって、きょうが明日に変わる瞬間、
とてつもないハプニングが起こるのかもしれない。
カレンダーは違うのに、
外国のニューイヤーっぼく、
みんながキスをしあうのかしらん』

『まだ帰りたくない、とどちらの時計もいった。
“ペアルックで”というのが、その日のパーティのきまりだったけれど、
本当の仲のいい恋人同志は、
たくさんのものをみんなに見せぴらかしたりはしないの。
あなたの腕の粋と私の手首のエレガント。
ふたつの時計を並ベると“アイシアッテイル”という暗号になる。
ふたりこの秘密が嬉しくて、
わざと遠く離れて、共犯者じみた微笑をおくり合う』

ほかにも
『今夜の私の足は踊るために 腕は誰かの背にまわすために、』
『いちばん気に入りの、小さなものをつける。これ、パーティーのジンクス』などなど、
各々20歳前後の女性の心理にサワるコピーが添えられていて、
「ルンルン」が売れた理由がよく分かります。

助手「どんな印象でした?」
存在感の巨きさがそのまま体型になり、胸騒ぎの横幅でしたね。


で、私の記憶が確かならば、沖縄の生活、食の根幹はこれ。
アレ~海を渡る四ツ足キュイジーヌ・プタ~を訴える授業に入ろう。



●阿波根子『もし豚が全滅したら沖縄にとっては、米の大凶作より問題になります
言える。豚一揆が勃発するかも知れぬ。



●玉城政人『紅の豚は飛行機にのる。沖縄の豚は膳にのる




●那覇牧志按司祐子『トコ豚(トン)、ミミからシッポまで
残すところは骨と爪くらいのものか。



●首里汀良王子洒虎凱『聖なる豚
インドの牛に匹敵。疑う者は高嶺剛監督のウンタマギルーを見よ。
なんと悩ましく聖なる化身。
米軍基地内の「ビッグ」の蔑称などもってのほか。



・『豚は家族である
なんなら座敷豚にでも。




●石川伊波王子徳明『豚の頭(チブル)はソクラテス、豚の足(あんよ)で長寿県



●那覇松川王子浩幸『耳から始まり、足で極める豚肉料理
シズル満点であります。

・『「料理の鉄人」豚肉対決ならウテナーンチュの勝ち!』
是非一度沖縄の料理人も挑戦してほしいものだ。

・『ウワーと驚く公設市場のデスマスク


次は元沖縄在住者の沖縄慕情。
●傍島陽子『テビチ食ベたい、ミミガー食ベたい、ソーキソバも食
ベたい、ラフティ食ベたい……、ウワー助けて~!』

欲情のあまりに叫びまでが豚になっている。




●金城けい『私は豚のちんちんだけは食ベた事がない
塾長もない。だれかが中間搾取しているのに違いない。




●五代大世主文雄『平和の礎(いしじ)の総代にはとん子とトン吉が決まり
ました





●上江田清実『鳴き声以外すべて味クーター
も一つ豚舎の匂いも加えたいなぁ。




●十代大世主浩『豚はキライ、ソーキはスキなんて、豚にブタれるよ』 
んだ、んだ。





●初代聞得大君良江『豚は、真珠
本来はこれが正しく「豚に、真珠」は後発のフレーズ。
とくに島豚は黒真珠の存在感があった。


・『お豚さまにはコンブにダイコン、オンブにダッコでございます


・『ウテナーンチュの体には、たらちねの豚にございます

以下、正解のギャグを四発、

豚が泣けぱ明日はハレです

ゆく年くる年、ゆく豚くる豚

ウチナーチュが宇宙飛行士になる時は、もちろん豚を連れていきます

豚料理ならば、背に腹はかえられる

また替え歌コマソンで以下、数曲。
『(象さんの替え歌で) 豚(ウヮー)さん 豚(ウヮー)さん 肋(ソーキ)が旨いのね
そうよ 足(チマグー)も旨いのよ~
♪豚(ウヮー)さん 豚(ウヮー)さん 耳皮(ミミガー)が旨いのねそうよ 
顔皮(チラガー)も旨いのよ~


『(一月一日の替え歌で)年の初めに豚(ウヮー)屠殺(くる)ち~
屠殺(くる)ちゃ豚(ウヮー)や~まあさたん~
松竹ひっくり返して大騒ぎ~村の村長さんに叱られた~



『♪静かなゴハンの盛りのかげから~もっといかがと豚が泣く~


以上、初笑い、三本締めなり。




●名護伊差川王子功『豚に御胴(ウンジュ)』
添書に「古い諺で豚とあなたがいれぱ他に何もいらないという意味」との由。




●後光克次『山羊は千円、豚は万年』なんのこっちゃ。




●南風淳子『亜熱帯食王




●九代大世主訓次 『寿県沖縄の屋台骨である
~るほど、屋台骨ねえ。

・『残った骨は焼物にしよう!トーンチャイナとみしろ焼
アクセサリーにもなるな。




●佐野節子『寝ても覚めても豚ばかり
その幸せに感謝してるんでしょ? 

・『トンで火に入る夏の焼豚、仔豚の丸焼きチュラカーブープー
旨そうだ。




●二代大世主幸男 『 向付ー耳皮 汁ー中身 煮物ーらふてー  飯ー豚飯(とんふぁん)』
見るからに本格琉球料理店のお品書きである。ヒージャーのフルコースよりは食ベられそうだ。


(ディアマンテスの勝利のうたの替え歌で)
『 ♪料理の豚を作ろうよ アシテビチを見つけたら切ってるまま鍋に入れて
煮(シンジ)ることを忘れないで~
』  渋いなあ!



●沖琉海『フールにブルブル
養豚業者の家に育った塾生の声。



●豊見城高嶺王子勇幸『ワーではありません。ゥワァーです。練習しましょう
この発音ネタが今週の最多案。
ミネラルウォーターで育ちました。ヤンバル産美味豚肉(ちゅらじし)



さて以下は参考までに(石)に届かなかった(小石)の例である。
このWeb版では掲載作の点は意図的に載せていませんが、
(当塾の採点については、第四回全琉コピー塾しくみ、簪と位
階制度参照のこと)
これより下にさらに掲載のかなわなかった(砂)や(土)の一群がある訳で、コピーの道は険しい。

●泊秀雄 『ケチな私は“くれないの豚”とよばれております』

●那覇宇栄原王子園子甲 『豚のゼラチン食さずウチナーンチュは名乗れない』

●南風原津嘉山按司和彦 『沖縄の食“豚”様様です』

●コザ住吉王子桂子『コレなしで沖縄行事は始まらない』

で、次が今週のベストワン。

●初代幹雄『五殻豊穣プラス豚』 
ウテナーンチユの切なる願いが言霊として宿る。






週刊レキオ1994.9.16掲出



 




 

  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 15:21Comments(1)

2008年09月21日

第8回 古酒(クース)のコピー

今回のテーマは、「古酒(クース)」です。

久々のアップです。
塾長の私自身も、日ごろ、時間がなくてアップアップしていますが、
溺死しないよう心がけます。
懐かしさも手伝って、
コピー塾の元塾生の皆さんのアクセスがこのところ増えています。
Googleなどで「全琉コピー塾」や「琉コピ」や「沖縄の言力」や「コトヂカラ」で
検索をかけると、一発で表示されるみたいです。


助手(運樹)「塾長、月がきれいな宵ですが、
いったい何を聞こし召しているのですか。
ア、アキサミヨー!そ、それは!
ついに塾長が家宝としている南蛮焼の
中川伊作先生の手になる大シーサー“ウォー”と並ぶ、
140年物の古酒の封を切るのでございますか。
待、待って下さいというよりも、私にも一口飲ませて下さい。
その約束ではないですか」

塾長「そんな約束した覚えはない。
私が140年物を飲む感動の一瞬を運樹に立ち合わせ、
その感想を誰よりも早く聴かせるというものでなかったかな。
それはともかく、去った12月、
君知るや名酒あわもり」の名句を残し、
沖縄の古酒の存在を世に知らしめた発酵学の権威・坂口謹一郎博士が逝去されただろ。
その大往生を偲んで、封を切る気になったのだ。
塾生、読者諸賢は140年と聞くと本気にしないかも知れぬが、
首里三箇の焼酎四十八職の血筋を引く酒造所には
沖縄戦の災厄を免れた三ケタ物が秘かに遺っている。
もう値段は付けようがない。
またこの風味は、かの幻の葡萄酒ロマネコンティ1935年と異なり、
気の抜けたものではない。
只、只、美味。一口、一舐めすれぱ、充分。
グイッと喫すると、命の幕が降りる

助手(運樹)「命と引き換えとは凄い脅しですねえ。
なら、私は遠慮しますから、塾長、早くそれを飲んで、遺言としての感想を…」

塾長「うっふふふ。それでは飲むぞ。
チビリ、チビリ、グビ、グビ、クイッ!あ、本当だ。
ローズ色のモヤが降りてきたぞ。
中秋の名月に、臨死体験が叶うとはこりゃめでたいのう」





振動、クラシック音楽、鐘乳洞の三条件を与えると
熟成が早まるのは科学的事実らしい、
沖縄の至宝・古酒を売る授業に入ろう。



・『私の島に新酒という文字はない』(高良仁子)





・『酒は古酒、女は年増、に限る』(那覇曙按司淳子)





・『甕の中の哲学者』(上江田清実)





・『ビジョンもイデオロギーも一つに溶けあっています』(玉城政人)





・『ウチナー老酒とでもいいましようか』(初代大世主幹雄)






・『百年の眠りも一夜にて空になる』(玉城政人)
  豪勢な飲みっぷりだこと。





・『指さし呼称ー色ヨーシ、味ヨーシ、香ヨーシ』(八代大世主松太)





・『酔いつぷれても、背筋がピンと伸びる酒です』(二代大世主宰男)
  泥酔するのさえ惜しい。







・『ニコニコの8年物、シノビワライの12年物、キンチョーの33年物』(初代聞得大君良江)
  リアルだなあ。







・『あなたに会うために何年もまっていました』(開邦太郎)
  泣かせるコピーじゃないか。




以下は、中学生の作。
飲まなくてコピーにするコザ中はディキヤーの園だ。

・『クースはお父も飲んだ。おじいも飲んだ。ひいおじいも飲んだ。次はおれだ!』
(仲本政康)





・『ねる古酒は育つ!!』(たくしやすふみ) 






・『古酒はとってもにーぶやーで、とってもあったかいんだよ』(工藤新)





・『古酒は体のクースリ』(宇江城健吾)               






また大人の部に戻って。





・『古酒になれば芳香(におい)おこすよウメエの花』(初代聞得大君良江)






・『古酒(こしゅ)ひかり』(初代大世主幹雄)
ノリノリ!恐れ入谷の鬼子母神。









・『古けりゃいいってもんなのよ』(開邦太郎)





・『老いてますますマ口ヤカ』(上江田清実)
  老いて盛んでないとこがいいですね。







・『万事古酒(クース)  (九代大世主訓次)
 反論できる人が何人いるでしょうか。





・『なにも掛けない。なにも割らない』(初代聞得大君良江)
  サントリー山崎の世界をパロってオリヂナルをしのぐ。






『「ゆうちょ」より、「MMC」より、金武の鐘乳洞』(初代聞得大君良江)
  塾長の実家も一升瓶で30本預けてあるがいったいいつ蔵出ししてくれるのか。







・(いっぽんどっこの唄の替え歌で)『♪ホコリかぶっても
中味は古酒(クース) どんな酒よりウメェのよ~
未熟(わか)いときゃ貯蔵(ねか)せろ
ドンッと待て おーお、男なら~
人の待てない歳月(とき)を待て~
』(初代聞得大君良江)





・『古い酒ほど新しい消費者を欲しがるものでございます』(鶴田麹)
 コピーより筆名が秀逸。





・『酒王』(十一代大世主洒虎凱)
   今週の最短コピー。






・『舌で融け心に染みる十年酒』(首里石嶺按司まゆみ)






・『琉球のもろみが口に卜ロリ新発売古酒「むるんとろん」』(池原次治)
 生理に響くネーミング。







・『古酒も安酒も熊にて車から降るベしー崇元寺の碑文から
(西原之覇)  アッハッハ。






・『グッスリと寝かせたお酒』(五代大世主文雄)






・『康煕熟成』(九代大世主訓次)
戦前、古酒は康煕(こうき、とよむ)年間、康煕モノと味のあるよび方をされていた。ちなみに康煕は中国の清の王朝名。







・『完熟泡盛』(初代聞得大君良江)







・『悠長沖縄主義再考 光陰亦創香趣最高』(石川伊波王子徳明)
  開高健の遺言「悠々として急げ」を想起しますね。








・『長生きしたお酒です』(二代大世主宰男)
この長生きという視点は斬新だ。古酒との邂逅がいかに有難いものか気付かせてくれる。





・『(三年目の浮気の賛え歌で)♪夫ー三年目のお酒ぐらい大目にみろよ 
妻ー沖縄では三年ぐらいじゃ古酒じゃないのよ
夫ー三年目のお酒ぐらい大目にみてよ 
妻ー瓶に戻してあと四年は待ちなさい
』(二代大世主宰男)



下記のように、本稿は元旦の掲載ですが、
中秋の名月の時季に出すのはいささか唐突なので、
枕の部分ははオータム用に少し再編集しました。
それから各作品のあとに、連載時は「塾」の手前かなり丁寧に寸評やら合いの手を入れていますが、
そのまま再録すると、うるさいのでバッサリとカッティングしてあります。
こうした作業があるので、元原稿があるとはいえ、
アップの間隔があき、アップアップと息切れの遠因になっています。



週刊レキオ1995.1.1掲出


  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 01:28Comments(0)

2008年04月23日

第7回 清明祭のコピー

今回のテーマは、「清明祭(シーミー)」です。


我が一門のシーミーは、つい先日済みました。
朝起きると雨が降っていて、どうなるかなと思っていると、
本家から電話が入り、家でやる「ヤー(家)シーミー」にするとの事。

しかし程なくすると、雨が止んで、日の光も出てきたので、
車で10分ほどの墓まで下見に行くと、
少し水がたまっているものの、何とかできそう。
その場でケータイで報告し、いったん戻る途中、
小学校の門の前で、
お知り合いの演説中の「かりまたのぶこ」ママに接近遭遇!
思わず車を脇に止めて、シャッターを切りました。




日頃から、「政治イコール生活」のコンセプトで、
「ズバリ本音! ズバリ行動!」を貫く正義の味方…
じゃなかった、そう、庶民の味方の沖縄県議会議員さんですが、
このときは、無認可、認可の別なく保育園や幼稚園のバックアップ、
小学校の北欧並み1クラス30人以下の少人数学級の実現に賭ける
熱い想いを語っていました。
がんばれ!のぶこママ!

容赦なく保険料天引きの後期高齢者医療問題、
無駄遣いジャブジャブの道路特定財源問題を筆頭に、
税金の使い道が本当に奇妙奇天烈な今の政治、行政を
そのズバリ・パワーでなんとかしてね!


さて、このブログは、
私が以前、沖縄の地元紙「週刊レキオ」誌上で、
塾長として毎週連載していた誌上塾「全琉コピー塾」において
発表された塾生の皆さんの、沖縄に因む様々なもの(ウチナームン)を
県内、県外、国外へ売り込むためのキャッチコピーを
ウェブ版として(要するに私の不徳の怠慢癖で)不定期に公開するものです。


いよいよ沖縄は、
先週あたりから「清明」シーズンのピークに突入しました。
琉球王国時代の尚穆(しょうぼく)17年(1768)に始まったとされる
この沖縄古来の春の風物詩・清明祭を、
塾生諸君は、今日的な視点でどう訴求したのでしょうか?






・『陰気なお墓が陽気になります
(豊見城与根王子千里)









・『お墓が笑っている』(多嘉良朝義)


以上二作、春のせいばかりではないね。








・『See me, please!』(比嘉わんこ)
ナンセンスの楽しさ。








・『おじいちゃんが講師です。我が家の家系説明会』(富村浩幸)





イラスト=安室ニ三雄さん



・『ウチナーンチュの墓は
にぎやかでいいなぁー卒塔婆
』(垣花優峰)









・『先祖(きみ)達がいて、僕がいる
(那覇大道王子幸男)
  当時流行っていた松竹過激団のチャーリー浜のギャグのもじり也。  

 
 もう一つウチナー・ギャグ。


・『ビューティフル、ウ・サンデー』(那覇大道王子幸男)
  因みにウサンデーとは“供物”のこと。







・『一族郎党先祖主役のピクニック』(宮城もと)









『“グソー界の啓蟄”と言う人もいます』(那覇楚辺王子幹雄)









・『生きていることの幸せ、後生の楽しみ』(那覇楚辺王子幹雄)









・『今年も会いましょ、花咲く丘で』(比嘉わんこ)






さて、清明料理に、視点を変えると、


・『そろそろ、メニューを変えようよ
(富村浩幸)







・『ケンタッキーで、清明祭』(多嘉良朝義)










・『料理は重詰、墓は鮨詰』(二代聞得大君教子)








・『ウートートーよりクァッチー
(与那原上与那原王子孝子)








・『お墓が庭かにおもしろい!』
(初代聞得大君良江)







・『親類一門再確認日』(宮里テン子)









・『ここが私達の本当のマイホームです』(国頭奥間按司寿己)








・『門中墓前会議』(那覇繁多川王子明日)









・『生命祭
(那覇西王子伊三雄)
これですよ、これ!







・『隣りのみよちゃんを誘ったら、同じお墓に着きました
(那覇楚辺王子幹雄)
  ウ~ン、ミステリーですな。







・『ゲッゲッゲゲゲのゲ、昼から墓場で大宴会。楽しいな、楽しいな』(宜野湾志真志王子京子)









・『中に入る順に、むしろの上』(二代聞得大君教子)
スルドイなあ!シビアだなあ!








・『お線香+行楽弁当』(初代聞得大君良江)
言ってみれば、レジャー感覚ということですな。








・『青い空が始まる』(那覇楚辺王子幹雄)
  シーミーの季節は、いい季節の始まり。








・『ボチボチいこかあ』(那覇久米王子当石)
 ウッフッフッ!あわてず、ゆっくり、万障繰り合わせて、ボチへ行きましょう。





次は、清明祭のCMソング。
『♪春が来た春が来た、どこに来た~山に来た里に来た、墓に来た!
♪花が咲く花が咲く、話の花が咲く~山で咲く海で咲く、墓で咲く
!』(垣花優峰)






・『陽気な墓情』(初代聞得大君良江)






・『ハブとの遭遇にご用心!』(那覇繁多川王子明日)







・『死んでも親戚づきあいはしましょうね!』(二代聞得大君教子)






・『お母さ~ん、死んだおじいちゃんが達がカチャーシー踊っているよ』(園子甲)
さも有り南無!




以上、本土の観光客の皆さん、
この時期からゴールデンウィークにかけて、
人気(ひとけ)のない道の両側になぜか車がズラーと停車していたら、
腰が引けたり、奇妙に思わずに、
この近くにきっとお墓があって、
「今頃、きっと盛り上がっているんだな」とみなしてください。
さすれば、あなたも「沖縄通?!」





週刊レキオ1991.4.12掲出


  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 00:29Comments(4)

2008年03月28日

第6回 カタブイ(片降り)のコピー

今回のテーマは、『カタブイ』(片降り)です。





沖縄特産『カタブイ』を売るコピー・レッスンの前に、
雨宿り的閑話をひとつ。
沖縄に来てから私はまだ傘を三本しか買ったことがない。
東京にいた頃は白いビニールの1本500円の使い捨て傘を含めて、
常時20本ぐらいはもっていた。
出先で雨が降るたびに買うので、自然と溜まってしまうのね。
雨が降りそうなら、傘を持って出ればいいはずですが、
それが面倒くさくてね。
傘を買うのは沖縄のカタブイのようにすぐに止まないせいか、
いつも急いでいたせいかもしれない。
だから雨が降り出すといろいろな店先に傘が一斉に並ぶ光景が懐かしい。
沖縄でそれをあまり見掛けないのは、
カタブイは①濡れるもの ②じきに止むもの ③車やバスの下まで走るもの
という伝統があるからに相違なく、あまり商売にならないからでしょう。
沖縄に来てだいぶ雨と仲よしになった自分を気に入っています。





さて、カタブイ(片降り)とは、本土でいうところの天気雨とか、俄か雨、通り雨、さらにはスコールとかに相当します。
こっち側が降っていて、あっち側が晴れているとか。
幸運に恵まれれば、雨と晴の境目に遭遇できたりする
あの個性的な雨のコピーをドッサリと塾生諸君が寄せてくれました。




 





・『玄関は雨だから、勝手口からでかけなさい』(初代聞得大君良江)




 




・『対向車は一台残らず洗車されていました』(溝口晴子)




 





・『勝手に、ここだけ華厳の滝』(亀山満)




 




・『晴後(せいこう)雨前(うぜん)』(小山松太)




 




 




・『和訳…虹雨 英訳…レインボーレイン』(読谷高志保按司浩一)




 




 




・『首里の晴耕、那覇の雨読』(二代大世主幸男)




 





・『天使のおねしょ』(那覇泊按司朋幸)




 





・『芥川賞受賞作ー片降る雨』(コザ諸見里王子実)




 





・『彼は雨傘、私は日傘』(初代大世主幹雄)




 




 




 




 




 




さて、以下7本は、琉コピ中等部の作。
担任の先生の発案で、クラス中で投稿してくれる常連でした。
(なお[琉コピ]の呼び名は、全琉コピー塾の略称で、当時そう愛称されていました。




・『ザァーと雨が近づいて、サァーと雨が去っていく』(仲里優)





・『対向車は濡れていなかった』(真栄城守克)





・『今日は雨・晴・雨・晴・雨・晴だった』(真栄城守克)
 




・『僕はカタブイと百メートル勝負した』(池田尚喜)
  濡れていなければ君の勝ちだ!





・『雨男と晴れ男のケンカです』(出雲正文)





・『沖縄の天気予報は信用ならん』(比嘉守貢)





・『降水確率50%とは、カタブイのことかな』(比嘉竜一)




 





・『カタブイに唄えば』(読谷高志保按司浩一)

  ジーン・ケリーばりに歌い踊るウチナーダンサーはいっぱいいますね。


 





・『カタブイの夏、沖縄の夏』(前田訓次)

  金鳥ばりのブランド感。


 





・『サンサンと雨』(初代大世主幹雄)
  いろんな意味の味付けがされていますね。美空ひばりのソウルもあって。




 




 




・『雨がドライブスルー島』(二代聞得大君教子)




 





・『主婦泣かせの時間差攻撃』(宮里平女)




 




 




・『くやしい!となりの洗濯物は濡れていないわ!』(前田訓次)




 





・『先生の拳骨は、僕にカタブイだ』(二代大世主幸男)




 





・『あらー見てぇー、お天気変更線よ!』(大川清)




 





・『ジッチャクはジャクジャクーだが、アジャはアジャー晴れている』(小山松太)




 





・『型破り(カタヤブイ)の雨だ!』(コザ諸見里王子実)




 





・『空からのビタミン剤。類似雨にご注意ください』(宮里平女)




 





・『傘もリバーシブルが流行(はや)るでしょう』(那覇泊按司朋幸)




 





・『どこにある境界線?!一度でいいからそこに立って、体半分、雨に打たれてみたい』(国吉功)




 





・『伊祖トンネルを抜けるとそこは雨だった』(コザ松本王子優峰)




 





・『』  (初代聞得大君良江)




 





最後の初代聞得大君のコピーの意味はわかるよね?
カタブイのための新しい天気マークを作ってくれたんだよ。
晴のマークに雨のマークを合体させた上、
“にわか”の“ニ”を丁寧にも添えてくれたわけだ。
気象庁へ無料で進呈しよう!




 





週刊レキオ1992.7.3掲出






  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 01:13Comments(0)

2008年03月26日

第5回 死亡広告のコピー

今回のテーマは、『沖縄の死亡広告』です。

新年の誓いもどこへやら。
しばし、間が空きました。
許してくださりませ。
空いた理由を強いてあげれば、
なにぶんにもアタマを一つしか
持ち合わせていないということでしょうか。
この『沖縄の言力(コトヂカラ)』にアクセスしてくださる方々のために
ネジを巻きなおします。
重ねて、許してたもれ。

さて、長期休養明けの最初の授業に
このテーマがふさわしいかどうか異論もあると思われますが、
その告知で、故人を天と地へ還すような趣きのある、
沖縄独特の[死亡広告]のコピーのレッスンに入ります。

本土の新聞にも似たような広告が出ますが、
大企業の社長さんとかに限られ、
それも並ぶ名前が家族、親族でなく、
故人ゆかりの知名士だから、
本土の死亡広告は一種の企業広告といえます。
それに引き替え、わが沖縄のコレは……



・『コピーして、家系図ファイルとして使っています』(石川大川按司法子)





・『脈切れて、人脈の太さを知る』(垣花優峰)





・『最後にする、親孝行』(那覇楚辺王子幹雄)




・『行数に見る生前の勢い』(那覇西王子伊三雄)



   合いの手を入れると、面白効果が半減するので、ただ黙って並べます。




・『7cmが平均的親族体系である』(那覇樋川王子陽子)




・『プライバシーが暴かれる日』(朝内桂子)




・『高いわね、新報だけに載せましょ!』(与那原上与那原按司孝子)




・『お客様は、仏様ですー新聞社』(豊見城与根王子千里)




・『3.5cmの消費税2,310円也!広告料はナンマイダー!』(首里赤田王子教子)





・『ネバーオン”友引”』(那覇繁多川按司明日)





・『いくらなんでも、この欄まではカラー化できない』(松浦雄一)





・『父さん、頑張るのよ、明日は休刊日だから……』(那覇樋川王子陽子)




・『琉球死ん報』(那覇久米王子当石)




・『赤子泣いてもチェック!』(那覇小禄王子良江)




・『知人の消息を知った悲しみの朝』(宮古夢美)




・『喪服の新聞に人のつながりを知る』(那覇楚辺王子幹雄)




・『いの一番目が走る営業マンなのォ!!』(北中城島袋王子文雄)





・『うっかり見落とすと村八分』(豊見城与根王子千里)





・『政治家必見欄』(宜野湾志真志王子京子)




・『社会面さん、TV番組面さん、先に読まれる無礼をお許しください』
  (那覇大道王子幸男)





・『いつの間にか死んでいた私』(上原多恵子)同姓同名の多い沖縄ならではね。




・『台所用品名も並びます』(国頭千恵子)




・『カマド、カマ、ナベ、カメ、ウシ、メガ、カマ、最近めっきり少なくなりました』
  (照屋浩一)いやいや、そうでもないよ。



・『シマに生まれ、シマに死す』(服部裕一)味深し。




・『五男六女、すごい!』(朝内桂子)




・『集計の結果、最多出場は西銘県知事の147回です』(照屋浩一)
  この辺が時代を感じさせるね。現在の知事の、前の、前の、前の方です。
  1990年12月14日の掲載だからね。




・『戸籍謄本の無料閲覧ページ』(宮城もと)




・『ああ、この人も、世界のウチナーンチュのルーツだったんだ』(垣花優峰)
  親族の在ペルーの文字なんか見るとね。




・『白木の箱に入って、黒枠広告』(横川寿巳)





・『県内千円札流通量紙上操作』(那覇大道王子幸男)
  千円香典は沖縄人の偉大な生活の知恵!




・『毎朝トートーメーのウチャトー、毎朝一門の安否チェック、なにが不思議ですか?』
  (那覇小禄王子良江)




・『門中中が喪中中』(石川大川按司法子)字並びの面白さの追求かな。




・『葬儀屋さんと火葬場さんも同居しています』(松浦雄一)






・『サア、弔い合戦が始まるぞー遺産相続人』(上原多恵子)




・『バイクの君!親を喪主にしてはいけないよ!』(国頭千恵子)
  そう、黒枠の中は、18歳未満お断りなのね。





・『ゲッ! 故人が別の人の友人代表になっている』(那覇大道王子幸男)





さて、快作奇作の大葬列の中で、不滅の光芒を放つ名作が次ですね。




・『沖縄で死ねたらいいな』(那覇西王子伊三雄)

  その死を人知られずに死ぬか、その死を企業広告にされてしまう本土から見ると、
  本当に沖縄は死者にやさしい土地であります。死亡広告に始まり、清明、
  七夕、旧盆…その幸せをもう一度見直してみませんか。


週刊レキオ1990.12.14掲出






  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 00:33Comments(0)

2008年01月09日

第4回 全琉コピー塾のしくみ 簪(かんざし)と位階制度

ここで当塾の仕組みについて、
簡単にふれておきます。

課題のウチナームンは毎週、
週刊レキオ誌上の当塾のページで発表され、
そのキャッチコピーは葉書やFAXで編集部宛に投稿されました。
締切りは一週間後。
集まった投稿は編集部よりまとめて塾長の手元に届けられます。
それを塾長が審査、採点して、
感想や批評や励ましを添えて原稿とし、
編集部へFAXで送付していました。

課題の難易度により投稿数のバラツキはあるものの、
平均して300本前後はキープしていました。
[てんぷら]や[沖縄そば]なら400本、
[おもろそうし]や[山ノ口獏]なら200本とか。

連載終了後は、
塾生諸君の[知と涙と汗の結晶]であるその扱いに困って、
しばらくはダンボールに入れて保管していましたが、
何年か前、下の記念撮影をしたあと、
葉書供養をして処分しました。
     ↓


一回分の投稿量
     ↓


掲載された塾生には点が付き、
点がたまると琉球王国の位階制度を踏襲した
出世コースを歩めるというのが売りでした。(下記参照)
一種のシャレとはいえ、
当塾の遊びゴコロの反映であり、また塾生の目標や励みにもなっていました。

20点や30点の大台に達すると、
自分の居住地域を冠した按司や王子といった称号を戴冠できるのでした。
とてもチャーミングな位階認定書も発行されました。

また、三ヵ月に一回、新しく集計した得点を加えて、
下のような最新の位階表を公開していました。
これも頑張って出世した塾生たちには、ちょっとした楽しみでした。
     ↓




振り返れば、全琉コピー塾そのものが
まさしく現代のホームページ、メール、プログ時代に
うってつけのスタイルだったなあと、思うことしきりであります。



全琉コピー塾のしくみ

【得点】
毎週、秀れたコピーには以下の点数が与えられる。
それぞれの簪(かんざし)は、
琉球王朝時の身分を示していたシンボルである。
●金簪(5点)
●銀簪(3点)
●鍮石(ちゅうじゃく)簪(1点)
☆石(いし、0.5点)

【出世】
点数が集まると、
琉球王国の位階を示す
次の出世コースを歩むことができる。
●子(しー)…1点以上
●里之子(さとぬしー)…3点以上
●親雲上(ぺーちん)…5点以上
●親方(うぇーかた〕…10点以上
●按司(あじ)…20点以上
●王子(おうじ) …30点以上
按司(あじ)の位より、自身の居住地を冠した称号を戴冠できる。
(例:運天良江→那覇小禄按司良江、我謝幸男→那覇大道王子幸男)

尚、王子の中で100点に達した女男は
以下の名誉位階が授与される。
★聞得大君(きこえおおきみ)
★大世主(うふゆぬぬし)
(例:運天良江→初代聞得大君良江、我謝幸男→二代大世主幸男)

  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 00:33Comments(1)

2008年01月05日

第3回 闘牛のコピー

今日4日は、仕事先へいくつか年始回りをしたあと、
最後に那覇のロワジールホテルで行われた
「那覇市新年祝賀名刺交換会」へ出席しました。



入れ替わり立ち代り、すごい人、人、人……
コンパニオン嬢がいうには、
1500人の来場者の見込みとか。
各界名士の、今年のスタートダッシュに賭ける意気込みのほどが
伝わって参りました。




挨拶に立った翁長市長も仲井真県知事も
会場の一線ビジネスマン、ビジネスウーマン以上に
元気はつらつでした。
ご両人とも病気から復帰して間もないのに、
24時間戦えますか?の乗りでした。
ちょっと古いな!


さて、今日は『闘牛』のキャッチコピーを紹介するのであった。


闘牛を、見たことがありますか?
スペインのアーレではなく、
沖縄本島中北部地域でさかんな、オーレです。

琉球王朝時代に農村の娯楽として始まったこの伝統芸能スポーツが
一部の地域を除くと、あまり観られていないのは残念です。
闘牛場施設の設置や、ファンの盛り上がりの課題があるにしても。


そこで、競馬のように馬券ならぬ“牛券”を発売し、
予想紙を発行し、パドックを設け、
電光オッズ掲示板などを整備して近代化したら、
人気をよんで各市町村の貴重な財源にもなると思うのですが…。


●イラスト 当塾の御用達絵師だった安室ニ三雄さん


で、以下は“牛の黄金時代”を築くためのプレゼンテーションでありますね。









・『心頭を滅却すれど、暑い・熱い・厚いレアのステーキが激突する』 (奥平孝子)










・『真昼の決闘、寝わざ無し』(南風原千里)
 





・『角闘技、1トン級無制限一本勝負』(多嘉良朝義)







・『全島ゆるがすプロ野牛』(運天良江)








・『見どころはひんむいた目、流すヨダレ、盛り上がったオシリ』(渡辺伊三雄)









・『豪快な腹取り、逃げるサイヨー。そばかすスーザンも思わず「OH! EXCITING BULL  FIGHT!」』(照屋浩一)








・『むきむき筋肉バトルロイヤル』(本部栄治)











・『♂(おす)のホルスタインは闘牛という仕事に男を感じていた』(鷹宮城陽子)















・『この緊張感、乳牛にはわかるまい』(砂川春夫)









・『アゲナ~ モォー!!』(伊是名教子)










・『大正十年具志川生まれ、麦藁帽子の下の白熱』(城間毅)









・『沖縄田園コロシアム、本日畜産会』(小林幹雄)









・『阿仁屋・ゆかり号・ポーク』(金城当石)









・『モォーあしび』(小林幹雄)









・『ファイトマネーとして草1年分、負ければ、バーベキューだぞ』(砂川春夫)










・『チャンピオンのファイトマネーは四葉のクローバーです』(渡辺伊三雄)







・『ねぇ、お父さん、強かったあの牛、いったいどうなったんでしょうねぇ?』(下地京子)









・『素敵牛、生きて奉仕、死して奉仕』(平安座ハッタラー十六世)














・勝てばマーサ草、負ければポークランチョンミート』(町田ゆかり)









・『ファイナルマッチ、勝てば種牛、負ければすき焼き』(南風原千里)








・『サトウキビにはかなわない…』(源河博樹)









・『手ぬぐい・指笛・どよめき可、日傘・スカート・黄色い声援不可』(城間毅)










・『酔ったオヤジのいつもの口ぐせ「ゆかり、さめしま、グラマン…」そのあと聞こえて来るのは牛の泣き声のようなイビキだけ』(照屋浩一)









・『その昔、闘牛は糖牛だった』(摩運天葛藤)









・『平和だった琉球の平和な戦い』(園子甲)









・『ネーサンター、武豊より、こっちがトレンディーってば!!安慶名闘牛場』(田芋ひとみ)










・『徳之島バクダンの先制攻撃、荒岩号の巨体、兼ね備える我が細君は人間にしておくのは惜しい』(我謝幸男)









・『マタドール・ギンギン兄ちゃん対ティーサージ・ステテコ・ハダシオジン』(奥平孝子)










・『“牛オーラーセー命”のオジーは初孫にゆかりと名付けました』(奥平孝子)




ちなみに、旧具志川市(現うるま市)のマンホールのフタには
闘牛のレリーフが刻まれたいたといいます。
平成の大合併でマンホールのフタまで合併することはありえないので、
たぶん今でもそうでありましょう。
自治体の郷土への想いが
プンプンと立ち込める泣けるはなしです。









週刊レキオ1990.6.29掲出






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 






















 























 

      


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 01:01Comments(0)

2008年01月02日

第2回 復元工事の始まった首里城のコピー

昨日は「紅白歌合戦」につづく「行く年、来る年」を見て、
年が新たまったのを五体と五感で確認した後、
この「沖縄の言力(コトヂカラ)」のオープニングと
第1回目の「沖縄てんぷらのコピー」を慎重にアップしました。

年賀状でそう予告していたので、肩の荷が下りました。
このページに初詣してくださった皆さま、
遅ればせに、新年明けましておめでとうございます。
どうぞこの一年、「沖縄の言力(コトヂカラ)」をよろしくお願いいたします。

さて、一回目の「沖縄てんぷらのコピー」の紹介はあえて、
一作、一作ごとたっぷり行間をとって、
極端のはなし、一つの作品だけが画面に掲出され、
その画面を独占しているような具合にして、
(こんなことは、雑誌のような印刷物のページでは無理ですが、
ウェブではいとも簡単にできてしまうので)
そしてゆっくりスクロールしていくと、次の作品は現れてくる。
そんな見せ方を意図したのですが、
どんなものでしょうか?
また連載時は、一作一作ごとに私の批評や採点や合いの手をいれて、
誌上塾として、また一つの読み物として、
誌面演出を計っていたのですが、
コピーだけを淡々と並べるのも
白米のご飯だけの食事のようでいいかなと思って
試してみました。
どなたかご意見をくださいませ。


さて、ここで、6年半の超ロングラン、
連載数全314回に及んだ全琉コピー塾の
記念すべき第一回の授業の模様をそっくり再現してみます。
1990年1月19日のこと。
課題は、ちょうどその復元工事が始まったばかりの[首里城]でした。


今日は、行間をとらずに連載時のままのカタチでやってみます。



…ズ、ズ、ズッシリ…!

これが何の音か、
当塾の連載に熱心な読者にはピンとくるはずである。
その通り、栄えある本日の開講に合せて
塾生から送られてきたハガキの束を
編集部から受取った時に、
塾長である私の手と心に轟いた音である。

重ねて、ズッシリ!
レキオ史を飾る投稿数という。
誠にもって幸先のよいスタートだ。
鋭い塾生諸君は、この連載が投稿の数量にひとえにかかっていることを
すでに見抜いているわけだ。

コピーライターの資質の一つに、
まっ先に目を付ける〉(御教条①)がある。
も一つ、
恥なんぞ気にせず、まず面白がり、
それを武器にできる
〉(御教条②)がある。

この連載を誰よりも早く知って、
誰よりも早く投稿してきた塾生は、
それだけでライターの資格十分だ。

従って、全員に点をあげたいのだが、
そーすると『全琉』と銘打った当塾の
有難味とケンイがなくなる。
そこで厳正=公正=是是非非憲法を貫くことにした。

そのぶん、
点がもらえた時の歓喜が
本物であることを三年保証する。

またそうしてこそ
コピー上達の王道が敷かれ、
自分の点や位階をまわりの人々に
胸張って自慢できるというものだ。



紋切り型がドッサリ

では、早速、今週のエクササイズ!
課題はこのたび復元工事の始まった『首里城』に、
本土の人々が訪れたくなったり、
関心をもったりするキッカケとなるコピーを作る、であった。




戦争で焼失する前の王朝古来の首里城正殿。
応募作は、このイメージを基に作られた。まさに古色蒼然。
因みに復元後の正殿はページ末尾に掲載。



なにせ琉球王国の歴史の塊の如き存在なので、
案の定、王朝ロマンをまぶしてはいるが、
中身が詰ってない紋切り型のムードコピーが
半分以上を占めた。


あなたのはどうでしたか?
確かにこの手法もあるが、
このラインは三鳥由紀夫級のレトリックの達人でないと
鑑賞にたえないのである。

例えば応募作の中に多く見られた、
『歴史の真珠』や
『古い歴史の新しい宮殿です』では、
ヒッカカリがよわい。

やはりそれらの同巧多数とは一線を画して、
目の付け所の新鮮なものに佳作が多かった。
封切りのカードを
気持よく配るように並べてみよう。

●大浜尚三
城跡ならいっぱいあるけど、うん、城を見るのは初めてだ』(鍮)
事実をシンプルに突いている。

●上原泰信
平面ではなく、立体でごらんください』(鍮)
もう絵や写真で見る
必要はありませんというアプローチだが、
もっとポジティブに
『お待たせ致しました。いよいよ立体でご覧になれます』
としたら、尚、よい。

●我謝幸男
守礼の門よりおっきいよ』(鍮)
ナンダ!と怒る人がいるかもしれないが、
子供の素直な驚きのような視点が
当塾を支えてゆく柱の一本である。
実際、あのサミしい守礼門に
期待外れの観光客も多いのだ。


バカバカしさは創造の源

次のような阿呆らしいが、
確かに笑えるコピーも許す。
硬直しない自由な発想は、伝達を可能とするからだ。
但し、点は鍮石簪(ちゅうじゃくかんざし、いわゆる銅の簪)の半分の(石)。

●ヤーグマヤー
『首里城ヘシュリ・シュ・、シュ・、シュ』
同じく
『和風のお城とは一味違います。エスニック風味に仕上りました』
以上、ぶつけられないように、(石)二個をポケットに。
が、名前を何とかしなさい。
他の塾生にもいえることだが、
ペンネーム可というのは
時代の三千米先をゆく“作家”としてふさわしいネーミングを、
もしくは差障りあるなら義名をという意味である。

さらに、並べる。
●伊是名教子『首里城訪ねれぱ守礼人』(鍮)
『訪ぬれば、守礼びと』で尚、感じ深まりて候。
●小林幹雄『首里一大きなお屋敷、新築!(鍮)
物件情報の手法もある。

●砂川春男『レキオの共同幻想城』(鍮)
こう堅くやるより、大工さんだから
天井は私が作りました。見上げに来てください
とホラを吹いてほしかったなあ。

●渡名喜俊洋『南蛮文化の華、燗漫』(石)
かなり甘いが、中二の向学心を買った。



里之子、第一号、誕生!

さて、今週の一等賞を発表するぞ。
●饒平名和彦『歴史をリゾート』(銀)
この島の過去と未来を
巧みにつなげた悠久の時が、ここには流れている。

無念にも掲載できなかった有望な塾生諸君、
その辺のワケを感じ取って戴けただろうか。
既制概念のべールに頼らず、
たとえば、
県知事発表!第二十代の琉球国王は、
参観者の中から選ぶことに決定しました
』的な
攻めがほしい。
とはいえ、今回の最多投稿の両雄、
藤江良雄と本部栄治、
並びに同巧多数の中からヌケヌケとぬけた超紋切りの
『ようこそ琉球国へ』の瀬長亀子の三君に、
塾長の職務特権で特別に(石)を進呈する。


以上、第一回で
一名の里之子と七名の子が誕生した。
まずはめでたい。一層の栄達を。
まだ位のない人、投稿のまだの人は、
すぐ追いつくはずだから、チバリヨー!


週刊レキオ1990.1.19掲出







1998年落成の首里城正殿儀式。
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また、講義のあと、下のように課題が毎週、塾長から提示されました。
          ↓

[今週の課題 ]

何の前触れもなしに突如食べたくなるものに、
『沖縄そぱ』がある。
確固とした“食格”があるのだ。
この味わい深いそばを本土の人々が
三日に一度は食べたくなるような、
おいしいコピーを考えてほしい。
ヤリガイあるでしょ?
では、待っとるよ、あなたのコピー!
ここ掘れワンワン、あなたの才能!



以上、全琉コピー塾第一回目の講義の模様を再現しました。
結構、マジにやっているでしょ?
出世した塾生の幾人かは、実際、広告業界へ入ってきましたよ。





   


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 11:24Comments(0)

2008年01月01日

第1回 沖縄てんぷらのコピー

さて、沖縄てんぷらの売り込みなのだ。
ヤマトンチュが本土のてんぷらとの姿・風味の違いを指摘しますが、
一個30円のものに難クセつけるのは、如何なものか。
沖縄てんぷらは、いってみれば街角のお気楽スナックなのだ。
難クセは、同じ感覚で揚げた千五百円の大和風天麩羅定食につけてよね。









・『あつい・うまい・やすい
』(砂川春夫)























・『ボリューム、満天!』(運天良江)


























・『ドサッと、置くのが礼儀です』(小林幹雄)

























・『枕詞は、アチコーコー』(富永文雄)




























・『大和人殺油地獄』(山川玲子)





























・『一品で店が立つ』(鷹宮城陽子)

































・『天ぷら揚げりゃ運気もあがると、年から年中アンダーナービの乾く間なし!』(運天良江)





























・『ゲッ、イカ天ぷらと思ったら、魚天ぷらやーしぇー』(出味蔵爽介)

































・『トタン屋根だけどね、あたしが沖縄のカーネル・サンダースさ』(我謝幸男)































・『ガヤガヤと入ってきて、ソースたっぷりは体育系』(我謝幸男)
































・『ライバルは、コロッケです』(砂川春夫)































・『高校生の社交場……ティーンプラヤ』(金城当石)





























・『オバー、ツケにできんかァ!!』(富永文雄)



































・『ローザが吹き荒れたころ、モービルオイルで天ぷらあげたのよ! オー、モーレツ!!』
(奥平孝子)


































・『衣まぶした卒業生見かけたら、揚げてやりましょう』(伊是名教子)


























・『オバーいわく、ライバル?冷やし物一切さあ!』(富永文雄)




























・『裏千家の茶菓子に使えないだろうか』(野原由将)



























・『カラッとでなく、fat揚げるのがコツ』(山川玲子)


















・『天つゆいらず、ソースに七味とうがらし、これが本当の天通です』(運天良江)























・『残業の友』(宮里智子)































・『手掴み、ガブリ!基本です』(源河博樹)




























・『全琉企業御用達! 休憩時間のお茶の友』(出味蔵爽介)




















・『夕立かな、と思ったらお隣がてんぷら揚げる音ー今晩はうちもそれにしよう』(鷹宮城陽子)





























・『おいしくナイ天ぷらならあるけど、マズい天ぷらなんかナイ!』(鷹宮城陽子)



























・『衣の下はバラエティー』(仲本安和)




















・『番身近なご馳走』(大山康代)





















・『マチグヮー、おばちゃん、午後三時』(本部栄治)









以上、ウチナーンチュが沖縄天ぷらをこよなく愛しているのがわかりますよねえ。
心がほのぼのとしてきますです。
それにしても、『ローザが吹き荒れたころ、モービルオイルで…』には参った。
補足すると、ローザは昭和40年代、
台風並みにブレークしたモービルオイルのCMガールのことですが、
第二次大戦後の貧しい時代にガソリンで天ぷらを揚げたというのは、実話らしいよ。
逞しいなあ、ウチナーンチュは!



週刊レキオ1990.6.1掲出
  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 02:04Comments(0)

2008年01月01日

オープニング お久しぶり!全琉コピー塾塾生とファンの皆さん!

週刊レキオ[全琉コピー塾]の塾生の皆さん、
6年半に及ぶ長期連載を支えてくださった熱烈読者の皆さん、
はたまた、そんなことは全然知らなかった皆さん、
永のご無沙汰でした、塾長の樋口謙一でございます。

思い返せば、
沖縄に因む古今のあらゆるモノにキャッチコピーを付け、
現在只今を生きる人たちの市場にとにかく食い込もうという当塾の挑戦は、
今日の沖縄ブームの火付け役、導火線となる
悪魔のように細心に、天使のように大胆な試みでした。



歴代の傑作コピーの例をあげれば、枚挙にいとまがありません。
たとえば[カタブイ](片降り)の課題では、
くやしい! となりの洗濯物は濡れていないわ!』(前田訓次作)

[ビーチパーティ]の課題では、
星の夜、砂の朝』(宮城陽子作)だったし、

[シーサー]の課題では、
歯磨きは、ライオン』(富永文雄作)でした。

替え歌コピーも多数カバーされ、
たとえば[琉球イモ]のCMソングはこんな具合。
松田聖子[Sweet Memory]のメロディーで。

『♪なつかしいお味だわ 戦争時(ずっとまえ)に食べていた 
でも芋(あなた)を見たとき 時間だけが後戻りしたの 失った友達の笑顔が浮かぶのはなぜ~かしら 過ぎ去った時代は
今も苦い記憶 スイートポテト
~』(我謝幸男作)

当時の連載誌面。週刊レキオ1995年1月1日付(第252回課題[古酒])
        ↓


しかしこれらの傑作コピーはまだBOOKになっていません。
[文霊](もんだま)を密封永久保存した一冊のパピルスになっていません。
[全琉コピー塾オリジナルカレンダー]で一部陽の目は見てはいますが。
残念ながら。


やがてその心残りも忘れるほどに月日が流れ、
時代はいつの間にかインターネット、メール、ブログの全盛。
出版もデスクトップ・プリンティングによる私家本何でもござれの時節到来。
今こそ自前で出版できる体勢になったものの、
連載当時は、手書きのままのアナログ原稿送稿だったので、
肝心のテキストのデジタル入力という分厚い作業が残っています。


そこで、その厖大なテキスト入力という難行苦行も
ブログで再編集しながら、復刻・リメークしていけば楽しい作業に変わるだろうし、
[古き酒を新しき皮袋に盛る]ことで塾生OBも楽しめるし、
何よりも当時の連載を知らない多くの方々のお役に立てるのではないかと思った次第。

ブログのタイトルは、[沖縄の言力(コトヂカラ)]とリニューアル。
ウチナーンチュによるウチナームンに寄せる想いの熱さに、
軽くヤケドしていただこうと存じます。

以上、オープニングの弁でした。
おいおい連載時の講義の模様や、琉球王朝の位階制度を踏襲した当塾のしくみや、
何かと物議を醸し賛否両論真っ二つ的反響なども紹介していきます。


また塾生たちの山脈のように連なる[言力(コトヂカラ)]に触発されて、
メールによる新作コピーの投稿が予想されますが、
面白いものがあれば[言力(コトヂカラ)拾遺集]としてそのつど紹介しようと思います。

たぶん、かなりのスピードで連載がアップされるはずなので、お楽しみに。
と、自分に縛りを掛ける。




[全琉コピー塾]塾長/樋口謙一/プロフィール

まだコピーライターって何者?どんな、仕事?
と言われていた時代に、広告界に入る。



作家の山口瞳さんや開高健さんがまだサントリーのコピーを書いていたころで、
糸井重里さんはまだデビュー前、仲畑貴志さんは同期。
久保田宣伝研究所(現・宣伝会議)で机を並べて勉強した。



デビュー作は、日立の電子卓上計算機[エルカ](一台なんと239,000円!)で
『実際に使った指なら、エルカを指名します』(日経新聞全7段)だった。



日立製作所(大型コンピュータHITAC)、松下電器トランザム(高見山・弓太郎)、
ダンキンドーナッツ、シチズン、講談社(司馬遼太郎、坂口安吾、吉行淳之介全集)、
福武書店(現・ベネッセ)などのキャンペーンを手掛ける。



あまりの忙しさに酸欠状態となり、
ときおり[命綱]として旅行に訪れていた沖縄へ、移住(1987年)。
今日の沖縄移住ブームのはるか以前で、移住派・元祖。



来沖後は、
日本トランスオーシャン航空(JTA)新社名キャンペーン(南西航空改め)、
ホテル日航アリビラオープンキャンペーン、
RBCラジオ開局40周年40時間生放送、
首里城復元第一回告知事業、
沖縄県産業まつりをはじめ、たくさんのステージをいただく。



かたわら[普久原恒勇千年音楽]、[喜納昌吉8DAYS LIVE]など沖縄音楽の発信をサポート。

沖縄に因んだ様々なウチナームンを県内外に売込むための面白キャッチコピーを作りあう
誌上塾[週刊レキオ全流コピー塾]の連載を6年間にわたって行う。

沖縄の長寿の秘密を解き明かそうと、
沖縄初の新健康コラムマガジン[月刊 沖縄浮力]創刊(1999年)。(編集、発行人)


日経サイエンス広告賞、沖縄広告賞など受賞多数。
郵政公社DM大賞審査員。


著書
・江戸・東京の老舗を歴史紀行した[東京の志にせ]
・詩画集[逝きし王女の為のパヴァーヌ]

また子供が好きなので、
沖縄の子供たちを応援するために書いた[ガメラの南の島の夢]で
第一回琉球新報児童文学賞を受賞(1989年)。



近年は、こうした35年余りのキャリアの中で鍛え上げてきた
物を売るためのコトバと集客をするための仕組みを、
明日が見えないお店や会社のために役立てたいと、
[利益3倍増タクティクス]に真っ向から取り組んでいる。



















  


Posted by 集客クリエーター・樋口謙一(全琉コピー塾塾長) at 01:25Comments(0)